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zoom RSS 小田急5200形(5000形6両編成)の思い出話(2)5200形が看板車両で主役だった頃

<<   作成日時 : 2011/01/26 21:51   >>

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さて、中学はいろいろな理由で電車通学することになり、1982年4月から高校卒業まで、6年間にわたって電車での通学が始まったのでした。

電車の中から大野工場の車両が見えるのはとても楽しみであったのですが、最初の通学のときに大野工場に止まっていたのは5200形第17編成でした。そのときは「ああ、もうこんなに増えたんだなぁ」としか思っていなかったのでした。

ところが、その第17編成が営業運転につくかつかないかのうちに、今度は第18編成が入ってきたのでした。さらに、第18編成が営業運転に入ると、その後すぐに第19編成が入ってきました。たった2ヶ月弱で3編成も入ってきたことになります。さらに、まだ第19編成が試運転を行っている段階なのに、第20編成まで入ってきたのでした。

ちなみに、本によると、竣工日は以下のようになっています。

  • 第17編成 1982-04-05
  • 第18編成 1982-04-28
  • 第19編成 1982-05-26
  • 第20編成 1982-06-10

実際には、もっと短期間にまとめて入ってきた事例も過去にはありまして、5200形でも第9編成から第12編成までの4編成は、たった35日間で入線していましたので、本当は驚くほどのことではないのかもしれません。ただ、短期間のうちに次々と新車が入ってくるのは、その後の小田急では通勤車3000形の増備まではなかったんじゃないかと…。

こんなに短期間に急いで導入したのには理由がありました。この年の7月12日に、箱根登山線に直通する急行(湯本急行)の車両大型化が控えていたからです。

それまで、箱根登山線に直通する急行といえば4両編成の2400形でした。たまに運用変更で2200形の4両編成となることはありましたが、冷房もなく車体も小さい4両編成であるにもかかわらず、急行の中でも最上位である(と私が勝手に思っていた)湯本急行は2400形の独壇場であり、2400形が看板だったのでした。しかし、輸送力やサービスの差はいかんともしがたく、土曜日には湯本急行の10分前にもう1本急行が走ったりしていました。
かく言う私も、湯本行きの急行はどうしても急がないときでもない限りは避けていたと記憶しています。

そして、1982年7月12日から、平日2運用・休日2運用を除いて、すべての湯本急行は5200形に置き換えられたのでした。小田原駅ではセレモニーも行われたと雑誌には出ていました。5200形はまさしく湯本急行のための車両であり、通勤車の看板となったのでした。

ちなみに、平日はどうしても車両が足りないために2200形の6両編成も運用されていたのですが、これが来ると「はずれかな?」とも思ったりしました。当時は二休日ダイヤでの千代田線直通はなかったので、休日ダイヤでは9000形が入っていましたが…。いずれにしても、5200形は紛れもなく主役だったのでした。

とはいえ、それも長く続くわけではありません。その年度の終わりには、新型通勤車両として8000形の登場が控えていたのでした。そして、その後は8000形が新しい小田急の看板車両となってゆくのでありました。とはいえ、8000形は登場当時は時々故障も起こし、町田から湯本急行に乗ったら相模大野で車両交換ということもありました。それと比べると、5200形は既に実績のある仕様で固めていましたから、故障などに乗り合わせた記憶はありませんでした。

短期間に集中的に増備され、主役で看板でもあり、しかも安定した車両だった5200形は、この時期以来私のお気に入り車両となり、現在に至っているのです。

(続く)

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