今日で20年…

その当時、私は高校1年生でした。

ニュースを聞いたのは夕方6時半くらいだったかと思います。
真っ先に考えたのは父親の安否。確か夕方から大阪に出張と言っていたけれど…新幹線だろうか?それとも飛行機だろうか?もし飛行機だったとしたら…。
母親が会社に電話をかけてみたら、もう会社を出たとのこと。

ニュースは次々と流れ、乗客名簿が画面に出てきます。
一文字も見逃さずに見たつもりですが、父親の名前は見当たりません。
でも安心はできません。
その2年前にすでに飛行機に乗っている私は、航空券によっては名前が書いてないことくらいは知っています。

緊張した空気がほぐれたのは、それから1時間ほど経った頃。
玄関チャイムが鳴ったので出てみたら、父親でした。
大阪出張は延期になったので帰ってきたとのこと。

でも、やはり最初は飛行機で大阪へ行く予定で、予約はJAL便で入れてあったのをキャンセルしたとか。
運命の歯車が少しでもずれたら、犠牲になった520人の遺族の中に私がいたことになります。
ほんの紙一重の差で、その後の運命に大きな差が出てしまうことを、そのとき感じました。

あれから20年…。

この20年の間に、日本の航空会社では乗客の死者は一人も出ていません。
もちろん、運航に携わる方の努力の賜物だと思います。
いろいろとトラブルが報告されていますが、それでも死者を出さずに済んでいるのは、単なる幸運ではなく、運航に携わる方の努力の結果がそうであったのだと、信じたいです。

この記事へのコメント

五月原清隆
2005年08月13日 05:20
で、今日も事故を起こしてましたね、JALは。ここまで来ると、最早ギャグだとしか思えません。平松愛理ではありませんが、「もう笑うしかない」って感じです。
ぐっち
2005年08月13日 12:10
本当にこの航空機事故を忘れないため、風化させないためにも遺品の廃棄とかJALもしないでほしいです。別に20年が節目ではないと思います。忘れてはいけない、後世にも残して、将来の航空安全に役立ててほしいです。
はるか
2005年08月13日 13:48
トラバありがとうございます。
昨日の事故、大きなものにならなくて本当によかったです。
何か起きて、会社側でいちばん辛いのは現場の人間だと思います。今のところは大事故には繋がってなくても、また悲しい想いをする人が増えないように、がんばってほしいですね。
HiSEのほうにもトラバしたんだけど、うまくできなかったみたいで・・。
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